2013年 10月 11日 (金)
2013/10/11 フライングペガサス降臨!? (^^;
by ポンコツおじサム
昭和45年頃の日本車とは思えない低く流麗なスタイリング!
「日本のカスタムカーの父」とも言われる「カロツエリア渡辺」が製作。
1974年には、日活の戦隊モノ「電撃ストラダ5」のモービル号としても活躍! 隊長は宍土錠で隊員は地井武男・山科ユリ・小野進也など豪華顔ぶれ. 3社からプラモデルも発売!
モービル石油のイメージカー「フライングペガサス」(^0^)
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今年は「ホンダ 4輪車生産開始50周年記念の年」だそうです。
つまり、
ホンダ初の4輪乗用車は「S500」なので、
”エス”も生誕50周年になります。
これを記念して、日本を代表するホンダSのクラブが合同で、
「ホンダエス生誕50周年を祝う会」を、ツインリンクもてぎサーキットで開催します。
モチロン、ポンコツおじサムも参加予定。
その参加車両は”これだっ!”
1970年製作「フライング・ペガサス号」です。
カロッツエリア渡辺 では「グリフォン」としても販売されています。
ホンダS600クーペベースの公道走行可能なナンバー付きカスタムカー。
日本中がモータリーゼーションの大きな流れの中、
モービル石油の”イメージカー”として、TV・雑誌・新聞・ポスター等々の全てのCM媒体に登場したそのクルマ。
ベース車はエスロククーペですが、
そのスチールボディの代わりに、FRPで成型された流麗なクーペボディが載っかります。
1970年(S45年)頃の我国の車検制度は非常に厳しく、
カスタムカーにナンバーを付けるのは至難の業だったそうです (;´∩`)
ましてや、鉄→FRPにボディ材質を変更するのは、大学での材料試験の結果を添付してまでも、簡単にはOKが出ないほど厳しいだったという事です。
3ヵ月間の東京陸運事務所通いの末の「ナンバー取得」は感激もひとしおだったはずです。
この当時としては、非常に貴重なアルミホイールが標準装備(ナント、Wマークをデザインした専用ホイール)し、ウインドウ類も旭硝子に専用品をオーダーしたという凝りに凝ったクルマなのです。
その結果、車両価格も高騰?してベース車両持ち込みプラス「160万円」で製作という超高額車になってしまったそうです。
ちなみに、この当時の大卒初任給がおおよそ「1万8千円程度」という事ですから、ハコスカGT-Rの新車(154万円)より高く、ベース車価格を入れるともうチョイでトヨタ2000GT並み?の価格になってしまったらしい・・・(汗)
そりゃ売れんわ・・・┐(´д`)┌ヤレヤレ
という事で、3台のみが作られ、2台(1号車と3号車)が現存中!
このクルマは記念すべき「1号車」です。
ほぼ21年間の休眠を経てに、
堂々と公道を走行して、公けのイベントに参加(予定)です(;^_^A ```
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