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2013年 11月 28日 (木)

2013/11/27 このオムスビは好きですか? (^^;

by ポンコツおじサム

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1967年(昭和42年)にこのデザインはかなり挑戦的ですね! 東洋工業のヤル気モードがビンビンです。   (ノ゜ρ゜)ノ ォォォ..
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「m」マークを、オムスビ型のロータリーピストンで囲んだ東洋工業のエンブレム。
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リヤエンドもキレイに長〜く。
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ロータリーエンジンとレシプロエンジンの燃焼サイクルの比較です(^^)
謎の円盤が襲来!?

1967年(S42年)製マツダ・コスモスポーツが入庫です。

あの「ロータリーエンジン」を積んだマツダの市販車第一号!
そのそも、
「技術は永遠に革新である」をモットーとする昭和35年当時の東洋工業社長・松田恒次社長が、エンジン特許を持つ西ドイツのNSU・バンケル博士と、契約を結び、社運をかけて開発に臨んだ画期的なエンジンなのである。

デザインも低く流麗なまさに「宇宙船」を思わせる斬新なスタイリングであった。

生産台数は、1967年〜1972年までの約6年間で「1176台」。
価格は、さすがに高かったらしく「148万円」。
当時の大卒の給料が、約2万8千円程度らしいので、いかに高かったか分かろうものですね(^^;

今回はエンジンの点火系強化で入庫。
国産の電気系部品を使う予定です。

これクルマを見る度に、
「帰ってきたウルトラマン」の、
マットビハイクル(MAT-VEHICLE)を連想するのは私だけ???(^▽^;)
あれは、カッコよかったですよねぇ〜♪

C O M M E N T
マットビハイクルがコスモスポーツだったとは!
恥ずかしながら、今初めて知りました。
今見ても斬新なスタイルですよね。

ちなみに子供の頃、MAT隊員になるのが夢でした(^^
くらしっく    [2013/11/30(土) 00:23]       
>くらしっくさま
そうなんですよ、コスモスポーツだったのですよ。
ちなみに、ウルトラ警備隊のポインター号は、クライスラー社のインペリアルですね。あれは大改造してましたが・・・(^^;
ポンコツおじサム    [2013/11/30(土) 19:14]       


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